2012年10月24日水曜日

「破壊的イノベーション」について

部署の週1のミーティングにて、毎週一人ずつ30分ほど何かを発表する。この前自分の番が来て、「イノベーションのジレンマ」という本のレビューを行った。
エンジニアばかりなので、こういうマーケティング寄りの話は興味を持ってもらえないだろうと半ばあきらめ気味で発表したが、案外興味を持ってくれて、発表の後ちょっとした討論にまでなった。

更新をやめて半年以上経ち、このサイトは二度と更新することはないと思っていたが、 せっかくなので、ここにも掲載しようと思う。
気分転換に、ブログタイトルを変更した。どうでもよいことだけど。


  
「イノベーションのジレンマ」を一言でいうならば、ある企業がその市場にシェアを持っていればいるほど、安定した大企業であればあるほど、その市場を不安定にするようなイノベーション(破壊的イノベーション)は起こせない、ということだ。

演算・グラフィック処理のスペック争いとなっていたゲーム機市場に、突如出現した、低スペックCPUを搭載したWii。ゲーム機用のゲーム市場を侵食するチープな携帯ゲー ム。ノートPC市場に現れ、一時ブームになったネットブックと、ネットブックの後釜となりブレークしているタブレットなど、近年のハイテク市場のムーブメ ントは、この理論を用いて説明できる。


  

今回は、ノートPCを例にとって本理論を説明していく。
上記の図は、年々リリースされるノートPCの、性能の平均値の移り変わりを示している。ノートPCの性能は年々向上しており(図の青線)、そしてある時点でユーザーニーズ(赤の点線)を追い越してしまう。
ノートPC の過剰スペックにより、ノートPCほどの性能を必要としない機器に対する潜在需要が出てくる。ASUSのEEEPCはそれを見事にキャッチアップしてブーム化。その後ネッ トブックの進化形としてAppleがiPadをリリースし、ノートPC市場とは一線を画すタブレット市場が確立された。

ちなみに、この記事ではタブレットをネットブックの進化形として割り切って説明している。多少強引かもしれないが。


  

別の視点で説明してみる。
昔はノートPC市場は中間層をターゲットにしていた。ノートPCの性能はデスクトップよりも低いのでハイエンドにはあてられず、高価なのでローエンドにもならなかった。
しかし、最近はハイエンド市場もカバーしている。この理由は、①テクノロジーは年々進歩してゆくので、製品のレンジは自然にハイエンドに移行してゆく、②ハイエンドは収益が大きく安定的なので、企業は意識的にそこを狙う、ということが挙げられる。

一方、ローエンドに対しては、ソニーなどの実績あるメーカは手を出せない。そこは大した利益は見込めず、不確かで、ニーズもいまいち分からないからだ。 逆に、ASUSのような、自社ブランド販売で実績のないメーカーにとっては、それは市場に参入する絶好の機会となった。

今現在、ネットブック自体は廃れてしまったが、ネットブックが切り開いた市場はタブレットが引き継いでいる。ネットブックは価格が安いだけの劣化商品であったが、タブレットはノートPCよりも直感的で使い安い点でアドバンテージを持つ。こうして、ノートPC市場はタブレットに侵食されていく。


Wiiの出現についても同じように説明できる。ゲーム機は新機種が出るたびにスペックが向上し、操作性は複雑になり、マニア志向に移っていった。 XBOX360、PS3と比較して低性能であるが、操作性をよりシンプルにしたWiiは、高性能なゲーム機を必要としない人たちをうまくキャッチアップできた。
最近の携帯ゲームも、高性能なゲーム機を必要としない人たちをキャッチアップし、あげくソーシャルゲームという独自の進化を遂げた。

あるいは薄型テレビ。日系メーカーは収益の高いハイエンドに狙いを定め、高性能、高機能を追求してきた。けどもそれはユーザーニーズを飛び越えてしまい、韓国メーカーによる低性能・低価格のテレビに市場を奪われている。




既存企業は破壊的イノベーションを起こしにくい。既存企業にとっての優先事項は今抱えているビジネスを継続・成長させる(持続的イノベーション)ことであり、それをするのに必要なプロセスや価値基準は、破壊的イノベーションに必要とするプロセスや価値基準と相容れない。

ある組織が、持続的イノベーションと破壊的イノベーションの両方を受け持つことは基本的に不可能だ。持続的イノベーションを受け持つ組織には、売り上げ・利益・成長率の目標があり、株主からの圧力もある。しかし破壊的イノベーションで狙う市場は小規模で不確かであり、継続的で大規模な収益は見込めない。この場合、マネージャーは持続的イノベーションにリソース配分を優先するだろうし、それが正しい判断と言える。

なので、破壊的イノベーションを起こすためには、独自のプロセス・価値基準を持つ小さな組織が必要になる。たとえば社員をスピンオフさせて別会社を作るとか、買収した会社を合併せずに、独立性を維持させるというのがよい。


2012年2月22日水曜日

なぜ日本の家電は没落したのか

先日、大手電機メーカーの赤字決算が続々と伝えられ、日系メーカーがグローバル市場の中で苦戦している様を見せつけられました。
原因は、テレビの採算悪化にあるようです。ソニーはテレビ事業だけで8年連続赤字、パナソニックは4年連続赤字ですから、過去から引きずっていた根の深い問題です。
かつてブラウン管の全盛期には、日本は世界シェアを握る強い存在であったのに、どうしてこのように没落してしまったのでしょうか。

2012年3月期の連結純損益予想
パナソニック 7800億円(過去最大の赤字額)
シャープ   2900億円連結純損益赤字
ソニー    2200億円赤字

テレビ事業における損益
ソニー    1750億円赤字(8年連続の赤字)
パナソニック 4年連続の赤字
東芝     400億円を超える赤字
日立製作所  数十億円赤字


直感的に分かりやすい原因として、以下のような外部要因があります。
・国内の特需終了(地デジ移行による特需、エコポイントによる特需)
・社会経済の影響(震災、欧州経済危機、超円高)
・新興国の台頭(中国、韓国)
これらは理解しやすいですが、物事の本質を突いているとは言えません。
本質的な問題点は、日系メーカー、さらには日本の製造業そのものにあるはずで、それを明らかにして、修正していく必要があります。 
 
1.テレビの開発に高度が技術が要らなくなった
もはや、テレビを開発するのに高度な技術は必要ない時代です。
高度な技術を集約した部品、たとえば液晶パネルや映像エンジンLSIなどを外部から購入し、ほとんど組み立てるだけでテレビなど作れるからです。
ブラウン管全盛期、昭和の時代には、テレビはアナログ部品で構成されていました。アナログの世界では、部品と部品が相互に影響を及ぼしやすく、最終的な完成品を動作させるには、それぞれの部品をチューニングする必要があります。
そのため、日本メーカーの技術力や組織力がアドバンテージとなっていました。
1980年代以降のデジタル化、LSIやマイコンの登場によって、高度な技術はLSIやモジュールに集約され、そのLSIやモジュールを入手して組み合わせれば、どんなメーカーでも製品を開発できるようになりました。
今の時代には、技術力は必ずしも必要ないのです。 

2.それでも技術力にこだわる日本勢
技術力がないメーカーでもそこそこの性能のテレビが開発できる時代に、日本はその高い技術力を用いて高性能なテレビを開発し続けました。
液晶パネルや映像エンジンLSIを自社開発することで画質を追求し、他社との差別化を行ってきました。

各社の基幹モジュール自社開発の状況  
シャープ  映像エンジンLSI:外部調達 液晶パネル:自社開発
東芝    映像エンジンLSI:自社開発 液晶パネル:外部調達
ソニー   映像エンジンLSI:自社開発 液晶パネル:サムスンとの合弁会社で開発
パナ    映像エンジンLSI:???  プラズマパネル:自社開発

しかし現実的には、韓国メーカーや有象無象のメーカーによるそこそこの性能のテレビで、人々は満足しています。
日本メーカーが追求する映像美は、一般の人々が求めるレベルを超えてしまい、メーカーの自己満足に陥っています。 
 
3.完成品では儲からない
日本勢は画質を追及するために、映像エンジンLSIや液晶、プラズマパネルなどの基幹モジュールを自社開発し、そこに技術を集約しています。
この際、基幹モジュールを他のメーカーに販売することはありますが、完成品であるテレビを販売することが彼らの目的であるため、高度な技術を集約したモジュールを積極的に外販することはないようです。 
他社との差別化のための戦略部材を他社に流してしまっては意味がなくなる、という考え方でしょうか。
そのため少量生産となり、生産コストは高くつきます。
また、技術力のない業者でもテレビを開発・製造できる時代には、高度な技術を集約した基幹モジュールを積極的に外販し、そこで利益を出すことも必要です。
 
参考図書
メイドインジャパンとiPad、どこが違う? 世界で勝てるデジタル家電 (朝日新書)
西田宗千佳
イノベーションと競争優位 コモディティ化するデジタル機器
榊原 清則

2012年1月20日金曜日

三流メーカーが学ぶアップルの6つの戦術 その2

2.iOSのメンテナンス性の良さが生んだ破壊的イノベーション

iPhoneやiPadの良さの一つに、新機種に搭載された最新OSが、旧機種にもタダで提供される、という点があります。OSがアップデートされるたびに新しい機能が使えるようになるので、例え古い機種だとしても飽きることなく使い倒せます。
それ以前のフィーチャーホン(ガラパゴス携帯)やパソコンでは、新機種に搭載された最新ソフトウェアが旧機種にも無償リリースされることはなく、ソフトウェアに対する価値観を覆しました。


アップルはなぜ無償でOSアップグレードが実現できたのか?
ここで疑問があります。
最新ソフトウェアの無償提供という、フィーチャーホンやパソコンでは実現できなかった、あるいは敢えてやらなかったことを、アップルはなぜ実践したのでしょうか?

理由は、フィーチャーホンやパソコンとはOSの調達方法や管理方法が異なるという点にあります。
パソコンに搭載されているWindowsは、パソコンメーカーがMicrosoft社から購入しています。Microsoft社にとってライセンス料はWindowsビジネスの収益源であるため、最新OSへの無料アップデートは不可能です。
iPhone、iPadの場合は、アップル社が自社開発したソフトウェア「iOS」を採用しています。iOSは、iPhone/iPadの歴代ラインナップに共通で使われています。
フィーチャーホンの場合も、ケータイメーカーがソフトウェアを自社開発していますが、製品ラインナップの各製品合わせて個別にソフトウェアを開発しています。メーカーは、各キャリアの要求を受けて次の機種をデザインしていくので、それぞれの機種が独自性を持ち、共通化ができないのです。

一方、iPhone/iPadの場合、複数の機種をまたいで同じCPUを採用していること、ソフトウェアのデザインや機能も共通化することで、ソフトウェアの大部分を各製品で共用し、スマートなソフトウェアの管理を実現しました。
これにより、最新OSを古い製品にも対応させることは容易になります。

Android端末におけるOSアップグレードについて
次は、iPad/iPhoneのライバルであるAndroidケータイ/タブレットについて考えてみます。
Android端末メーカーの中には、旧製品への最新OSアップグレードをサポートしているところもあります。AndroidはGoogleが提供する無料のOSであるため、容易に実現できるかのような印象を受けます。
しかし、アップルによる最新OSの無料アップグレードと、Android端末メーカーによるそれは全く違う意味を持つと、自分は考えています。

アップルの場合は、最新機種の出荷に合わせていっせいに旧機種へのOSアップグレードを展開します。世間の注目度を高め、旧機種ユーザーに最新OSをモニターさせることで口コミを広げるわけです。
しかし、Androidの場合は、そうはなりません。最新OSの認知度を上げたり、ユーザーに最新OSをモニターさせても、必ずしも自社のAndroid端末を買ってもらえるわけではないのです。
しかし他のAndroid端末メーカーがそれをやるのであれば、メリットがなくても、余分な費用が必要になっても、自社もやらなければ競争に負けてしまいます。

アップルが巻き起こす破壊的イノベーション
アップルによる旧機種へのOSアップグレードという取り組みは、アップルにとっては効果的なキャンペーンですが、Windows/WindowsPhoneのビジネスモデルを根底から破壊し、Android端末メーカーをも不毛な消耗戦に巻き込みました。
アップルのひとり勝ちです。うまい戦略だと思います。

2012年1月9日月曜日

三流メーカーが学ぶアップルの6つの戦術 その1

アップル信者なんて言われたくないですが、新製品を毎度楽しみにしてます。新しい市場を次々と開拓し、他社が参入してきた後も存在感を保ち続け、他社製品が安売りされる中でアップル製品は定価で買われていきます。
一方、アップルのようになれない他のメーカーは全くふがいないものです。
自分もメーカー勤めのエンジニアであるので、アップルにうっとりしている場合なんかではありません。アップルから技術や戦略を学び取り入れて、自らの血肉にしていく必要があります。

と言うわけで、ネットや本から情報収集した内容を、自分自身のためにも整理してまとめてみました。

ちなみに、情報の多くは『メイドインジャパンとiPad、どこが違う? 世界で勝てるデジタル家電(西田宗千佳 著)』から得ました。この本は新書の割に内容が濃く、アップルに関する話だけでなく、液晶テレビ、ゲーム機、ケータイ業界の事情などにも触れていて、大変面白かったです。

1.筐体のデザインとコストの両立
アップル製品の外観は、見栄え良く、剛性にも優れていて、他社と比べて一線を画しています。まあ言うまでもないことですが。
当然、他社製品と比べてコストは高いはずですが、ここで注意しておきたいのは、彼らはコストを度外視しているわけではなく、むしろ合理化によるコスト圧縮を徹底しており、コスト圧縮とデザインの両立を追求している、ということです。

例えば、Macbook Airはアルミニウムの削りだしによるユニボティを採用しています。
アルミのユニボディは見た目だけでなく、質感、剛性などユーザーエクスペリエンスも全体的に向上させますが、アップルが向上させているのはユーザーエクスペリエンスだけではありません。

『メイドインジャパン〜』によると、アルミニウムは鉄やプラスチックに比べて再利用性が高く、削りだし処理で発生したアルミくずは再利用できます。また、ユニボディによりパーツ数が減るため、組み立てはシンプルで簡潔になり、中国での大量生産を容易にします。
ちなみに、「削りだし」は「プレス」よりも技術的難易度が高いですが、高度な工作機械をいったん導入すれば大量生産が可能です。 『メイドインジャパン〜』によると、実際にアップルはファナック(日本)のマシニングセンタを導入しているとの話です。
(1月20日削除・・・「削りだし」は「プレス」に比べて加工に時間がかかるため、一般的には量産には向かない技術として知られていますが、アップルのEMSはファナック社のマシニングセンタを購入し、削りだしで大量生産を行っているようです。しかし、この記事のテーマである生産性の改善やコスト圧縮との結びつきは不明なので、いったん削除しました)
Macbook Air分解写真(iFixitより)

iPhone4(s)の場合は、本体の両面にガラスを貼り合わせた筐体になっています。これもアルミステンレス枠(1月20日訂正)とガラス二枚の3パーツ構成であるゆえ、組み立て作業が容易になります。

iPhone 4S分解写真(iFixitより)

コストのためにデザインを犠牲にするのでも、デザインのために生産性を損なうわけでもなく、コスト、生産性、デザインの両立させたアップルの設計はさすがです。
それに比べると、Made in Japanを謳うどこぞのパソコンは、生産性を考慮した設計がされていない、つまりは設計のレベルが低いと言えそうです。

その2に続く

2011年12月22日木曜日

ほんと馬鹿!? 「科学」を知らない日本人

少し前ですが、BLOGOSで小飼弾氏の記事『ほんと馬鹿 - 書評 - 科学的とはどういう意味か』を読みました。
この記事にて小飼氏は、 森博嗣氏の著作『科学的とはどういう意味か』に対して、「ほんと馬鹿」と辛辣にコメントしています。
なかなか奥が深く、「科学」の意味を考えるいいきっかけになりました。ようやく考えがまとまってきたので、この場で述べてみます。


森氏は『科学的とはどういう意味か』にて、以下のように述べています。
科学の存在理由。科学の目標とは、人間の幸せである。

それに対して、小飼氏は以下のように述べます。
科学とは、知をもって信をおきかえること
「信じたい」より「知りたい」を優先するのが、科学だ。
幸福というのはあくまで科学の副作用の、そのまた副作用となのであって、それは目的でもなんでもない。いや、だからこそ「目的」よりも強い「宿命」なのかもしれない。

小飼氏の科学観が正しいとは思います。でも、森氏のように考える人は多いのではないかと思います。少なくとも、森氏の本の出版に関わった人間全員が間違いに気がつかなかったわけですし。

なぜ多くの人が間違った科学観を持っているのか、それは、日本では本来あるべき科学観が浸透しなかったためと考えられます。
つまり、西洋で発祥し、発展した科学は「知を持って信を置き換えるもの」であったのですが、日本に導入された際に「役に立つもの」に変わったのです。

本来の科学が「知を持って信を置き換えるもの」であるのは、ガリレオの地動説を巡る宗教裁判を振り返れば理解できるはずです。当時、コペルニクス、ケプラー、ガリレオなどの天文学者は、役に立つものを求めて自らの命を危険にさらしたわけではありません。世界に普遍原理が存在すると信じて、それを解き明かすことこそが、命よりも優先すべき信条でした。これは、神の創造した世界を正しく理解する、という宗教的側面もあります。
彼らの信念は、単純にキリスト教だけを背景にしたわけではなく、キリスト教や哲学を含めたヨーロッパ精神を反映した物であると考えます。よって、近代化によって宗教性が薄まった後も、「知を持って信を置き換える」精神は 欧米人に残ったわけです。


しかし、その精神は日本には浸透しませんでした。理由は二つ考えられます。
 一つは、「科学」を輸入した当時、日本は後発近代化国であったためです。
宮台真司氏は著書『サイファ 覚醒せよ! 世界の新解読のバイブル』にて、以下のように述べています。
分かりやすく言えば、欧米列強が十九世紀後半から急速に世界各国に拡大していく中で、突然科学に、つまりテクノロジーに出会うんです。そのために、同じテクノロジー水準に到達しないと支配されてしまう、植民地になってしまう、というところから、科学を出発させることになったわけです。ですから、基本的には、社会に役に立つことが目的なんですね。

もう一つは、日本人の精神が、先ほど述べたようなヨーロッパ精神とは全く異なるためです。
いろいろな民族が織りなすヨーロッパとは異なり、日本は単一民族が安定して定住していました。生活自体に普遍性があるので、そういう環境では人々は普遍性に対する憧れを持つことはありません。あるのは、自分の生活をどう便利にしていくか、という視点のみです。


こう考えると、本来あるべき科学は日本に未だ浸透していないと言えます。にもかかわらず、私たちは科学をツールとして使い続けます。
同じように、資本主義も民主主義も人権も、私たちはツールとして輸入したに過ぎず、本質を理解せずに使い続けているのかも知れません。
ほんと馬鹿、かもしれません。

2011年12月12日月曜日

人類発達史における「ネット」のポジション

ネットがもたらす社会変化
今やネットは社会に大きな影響を与えています。
今年の1月におこったジャスミン革命は、記憶に新しいと思います。 チュニジアで起こったこの革命は、Facebookを始めとするSNSで運動が始まり、SNSを通じて国民が結束し、政府を倒す運動となったのです。
ジャスミン革命に続くように、エジプト、リビアでも大規模な暴動が起こり、独裁政権の崩壊に繋がりました。これらの国でも、やはりSNSが反政府運動に重要な役割を果たしています。

日本にいる私たちも、 ネットを通じて事件発生時の様子をリアルタイムに知ることが出来ました。私たちがネットで得た情報は、マスコミよるのものだけでなく、一般人が撮影した写真や映像も多く含まれていました。
一方で、日本のテレビや新聞が発信する情報は少なく、また発信するタイミングが遅いため、日本のマスコミに愛想を尽かした人も多かったと思います。

これがネットの力であると思います。つまり、ネットが人々のコミュニケーションのかたち変えることにより、政府などの権力機関や、新聞社やテレビ局などのマスコミを弱体化させてしまうのです。 



ネット普及前と普及後の社会構造
ネット普及前と、ネットが普及した現代でどのように社会のコミュニケーションがどのように変化したのでしょうか。

ネット普及前、私たちは二つのコミュニケーションによって、情報交換を行っていました。
一つは、マスコミを経由するコミュニケーションです。私たちは新聞を読んで政治家の動向を知ったり、テレビで芸能人を見たりします。もう一つは、人と人の会話や手紙、電話によるコミュニケーションです。
これを図にしたのが図1です。



 政治グループや芸能グループ、料理研究家などを含めるプロフェッショナルグループが上位にあり、その下に新聞社やテレビ局などを含めるマスコミグループ、一番下には市民グループがあります。
プロが発信する情報は、マスコミを通して市民に広く拡散されます。情報は必ず上から下に流れ、逆流することはありません。
各プロはマスコミにより市民に認知されるので、マスコミによって権力・権威を維持できていたと考えることもできます。

一方、市民は電話や手紙を使って他の市民に情報を発信します。発信者と受信者は基本的に1対1です。プロによる情報発信は社会に与えるダイナミックな影響に比べると、市民の情報発信が社会に与える影響はわずかです。


ネット普及後の社会では、どのように変わったのでしょうか。
これは図2に示しました。


 ネット普及前に存在した、プロ、マスコミ、市民グループに加えて、インターネットが存在します。インターネットにより、市民が他の市民に情報を送ることが可能になりました。

ここで重要なポイントは、ネットを使うことで、市民は不特定多数の市民に対して自由に情報を発信できるようになった、ということです。つまり、かつてはプログループのみが情報を多数の市民に拡散して発信できたのに対して、今では市民が同じことが出来るのです。
これにより、マスコミやプロの社会的地位は相対的に低下していきす。これが今日、目の当たりにしている社会状況です。



ネットは三大発明を超えるか

人類の発達史において、人類が獲得した新しいコミュニケーションスタイルにより、社会や文明が進化するというシーンが幾度かありました。

人類が「言葉」を獲得する前は、コミュニケーションは原始的な意思表示に限定され、家族単位の小集団しかありませんでした。それが言葉の獲得により、複雑な共同作業が可能になり、部族や村単位の集団で農業や狩りを営むようになります。
「文字」の発明は、さらに大きな社会形成を可能にしました。世代や場所を越えて知識を共有することが可能となったため、宗教や法典が出来、それにより国が形成されます。
「印刷」の発明は社会をさらに発展させました。読み書き能力は国民に浸透し、近代国家形成を促しました。

言葉・文字・印刷を「情報の三大発明」と呼んで良いのではないでしょうか。そしてこれからは、ネットを加えて「情報の四大発明」となのかも知れません。
ちなみにテレビは、これらに比べて社会に与えた影響は限定的であったと自分は考えています。というのも、機能的には印刷の発展形に過ぎないからです。


ネットが既存の権力を弱体化させますが、最終的にどんな社会になるのかはなってみないと分からないところもあります。果たしてそれが平和的で恵まれた社会なのかあるいは混沌として疲弊した社会になるのか。それは、今後ネットが進化していく方向性に依るのかも知れません。
ネットを促進する側に立つ自分としては、前向きに捉えていきたいところです。

もっとよく知りたい方は、西垣通先生の『基礎情報学ー生命から社会へ』を読んでみてください。

2011年12月6日火曜日

頂点に立つインテルの王者の戦略

前回の投稿にて、パソコン市場の勝者はインテルである、という結論を提示しました。

この状況は、各社の利益率を比較してみると納得できます。
インテルの2010年度の粗利率は66%でした。その一方パソコンメーカーでは、一番収益率の良いDELLですら18.5%です。

また、 立本博文氏のレポート『PCのバス・アーキテクチャの変遷と競争順位 ーなぜIntelは、プラットフォーム・リーダシップを獲得できたかー』のPC・部品の平均価格変化率の表(P.44)を見ると、パソコン本体の激しい値下がり傾向と比べてCPUの単価の下降はゆるやかであり、インテルがパソコンメーカーよりも有利な状況にあることが見て取れます。
一体なぜ、インテルはパソコンメーカーに対して優位でいられるのでしょうか?

立本博文氏のレポート『PCのバス・アーキテクチャ〜』や、小川紘一氏の『我が国エレクトロニクス産業にみるプラットフォームの形成メカニズム アーキテクチャ・ベースのプラットフォーム形成によるエレクトロニクス産業の再興に向けて』はインテルの戦略を詳細に解説しているので、簡単にまとめます。


イ ンテルは、CPUとそれに組み合わせるチップセットを販売しています。チップセットはSATA、PCI Express、USBなどの標準インターフェイスを持ちます。インテルが標準化を行ってきたこれらのインターフェイスにより、サードパーティーメーカー は自由に周辺LSIや、周辺機器を開発できるようになりました。また、高度なテクノロジーを2個のチップ内部に集約したことで、各パソコンメーカーは高度 な技術を必要とせず、マザーボードを容易に開発できるようになりました。

一方、チップセットとCPUの間のインターフェイスは基本的に公開していないため、他社がインテルチップセットに対応したCPUを開発することや、インテルCPUに対応したチップセットを開発することは不可能です。

外 部とのインターフェイスは標準化してサードパーティーの参入を促し、自社LSIの価値をたかめる(オープンプラットフォーム)。 一方、CPUとチップセットを切り離し不可能な組み合わせにして、その内部をブラックボックス化して互換品の開発を不可能にする(クローズドプラット フォーム)。
このように、クローズドプラットフォームとオープンプラットフォームを使い分けることで、自社CPUとチップセットの絶対的地位を築いてきたのです。

インテルの標準化の取り組みや、パソコン開発に高度な技術力を不要にした取り組みは、業界に新規参入者を増やして市場を活性化させた一方で、競争激化を招き、各メーカーの収益を圧迫する構図となりました。
また、各パソコンメーカーはインテルのロードマップに従ってパソコンを開発するので、機能が横並びとなり、差別化は困難です。


インテルはパソコン市場の王者として君臨してきたわけですが、いつまでも王者の戦略をとれるとは限りません。タブレットという新カテゴリーのデバイスがパソコン市場を侵食して成長しており、そのほとんどはインテルCPUの代わりにARMコアCPUを搭載しています。インテルも敗者の戦略をとる日は近いかもしれません。